【If you want】 どうしても慣れない。。

【If you want】 という言い回し、よく聞きません?洋画でも海外ドラマでも、友達との会話の中でもヨーク出てくる。慣れないんだよな、この言い方。慣れないっていう言い方が正しいのかは分からないけど、無意識のうちに嫌な気分になっちゃってる気がする言葉がこの【If you want】です。

決して相手を蔑む言葉ではなくて、むしろ相手を気遣う言葉として多く使われてるんだけど、どうしても、上から目線に聞こえちゃう。きっと共感してくれる人、多いと思う。

If:もしも、 You:あなたが、 Want:したいならね、 → 「もしあなたがそうしたいならね。」って聞こえてしまう。上から目線というか、いやーな返し方というか。

A:Do you have any plan tomorrow?(明日の夜なにか予定ある?)

B:No. I don’t have any plan.(何もないよ~)

A:So.. we can go to dinner if you want.(じゃあ、よかったらご飯行かない?)

B:Okay, sounds fun.(オッケー、楽しそう。)

頭では分かっていて、理解もできているつもりなんだけど、やっぱり 【If you want】 っていう言葉を日本人の脳みそで瞬時に変換しちゃうと、上から目線で「あなたがもしわたしとご飯に行きたいならね。」の前に、『行ってあげてもいいよ』がうっすら見えちゃう感じ。

これは相手を蔑んだり上から目線の表現ではなくて、「もしよかったら、」って相手を敬って気遣っている言葉。だから、こういう風に会話の端々で 【If you want】 が使われると、変なプライドが邪魔して、『Not really. You ask me first, so I thought you want to ~ 』 ってひねくれた言い方をしたくなっちゃう。絶対口にはしないけど。

こんな風に英語についてもこれから書いて行ってみたいと思います。

オマーン人とその特徴について

前回の記事で書いたオマニボーイから、ここではオマーン人とその特徴について書いてみます。

オマーンはアラビア半島の東端にあって、サウジアラビアの東に位置する国。首都はマスカット。人口約520万人でオマーン国籍が70%、残りの30%がバングラディシュやパキスタンなどの外国人労働者。東南アジア人も多いです。一夫多妻制度があり4人まで結婚できるそうですが、貧しくては妻たちを養うことが出来ないため、複数人の妻がいるのは富裕層に限られているみたい。通貨はオマーン・リアル。オマーンに住んでいる住人の大半がイスラム教徒な国。

国旗は赤・白・緑でできています。赤は外敵からの国防とこれからのオマーンを、白は平和を、緑は豊かな農作物による繁栄を意味しています。そして、竿側の紋章は国章でもあり、この国特有の短剣カンジャルと太刀を組み合わせたもので、スルタンの権威を表しています。

公用語はアラビア語ですが、首都をはじめ、割と広く英語がよく通じるそう。わたしの友達のオマニボーイも英語がすごくナチュラルでした。

やっぱり激熱な国で、夏は高温多湿で雨は冬季に少量降るのみ。5月~8月にかけては40℃~50℃以上。最低気温が30℃以上という酷暑の国です。

オマーンは昔から貿易の中継地点の働きをしていたために、異文化との交流が日常的だったことから、外国人に対して寛容な人が多いみたい。オープンで人懐っこくて明るい人たち。イスラムの国だからその教えが影響して面倒見がよく、温厚で、男性はジェントルマン。

よくイスラム諸国は “男尊女卑” って言われたりするけど、人によってはそうも見えるのかもしれないけど、文化とか歴史的な背景から、男性と女性の、 《在り方》 がこうなっている訳で、彼らを知ればそんなこと全くないんだなって感じられると思います。少なくともわたしは、彼らの心の美しさに何度も救われました。

これは日本人数人とオマニボーイでロンドンアイの下で晩ごはん食べてた時の写真です。オマニボーイはモスリンなのでもちろんコーラを。

この時彼は宗教観についてたくさん話してくれていました。なんえ彼以外は全員日本人。彼の神への信仰を納得して共感できた人はわたしを含め、1人もいませんでした。そりゃそうか。だけど、彼はそんなわたしたちを決して否定せず、だからといってもちろんわたしたち日本人の考えを真正面から受け入れるわけでもない。「こんな考え方があるんだなー」っていつも新鮮でした。

ロンドンの夏の終わりの真夜中の、半そでじゃちょっと寒いけど、コートを着るほどまではいかない、生ぬるい空気がなんとも心地よくて、めっちゃ遅くまで話して気づいたら終電は終わっていました。終電逃してもロンドンはないとバスが永遠に出てるから帰れなくなることはありません。日本もそんなだったらいいのになー。今はコロナで夜出歩くこと自体がなくなってきちゃったもんな、早く元に戻れ―!

“if” から感じた宗教観

“if”“もしも”

日本語でも英語でも毎日当たり前に会話に出てくるし、この言葉があるからこそ成り立っている話って結構多い。「もしこの仕事してなかったら今頃何の仕事してると思う?」「もしかしたら、そうかもしれない。」「もし次のデートでプロポーズされたらどうする?」。。。

留学していた時、ある時の授業でディスカッション形式のレッスンがありました。テーマは《仮定》について。“If today is the last day of your life, what do you do?” (もし今日が人生最後の日だとしたら、あなたは何をしますか?) このテーマに沿ってそれぞれの意見や考えを自由にディスカッションする形式で、哲学的要素も含まれている授業でした。

わたしが組むことになったのはオマーンの男の子だったのですが、このテーマが発表された瞬間にオマニボーイの目つきが一変。さっきまで楽しく喋ってたし、あんなに穏やかでノリの良い彼がこんな敵意むき出しの表情をするなんて。わたしはただただびっくり。まずそもそも何にこんな気分を害しているのか意味わかんないし、ハテナでいっぱい。同じようにクラス中が「???」を感じていました。

これには先生も「?」状態だった様子で、ぽかんとしている感じだったけど、彼以外にもそのテーマについて話している子たちがいて、それはみんなモスリンの子たちでした。前にも書いたサウジの彼や、ラマダン明けにおねえちゃんに指輪を贈ったあの姉弟たち。

結構異様で、変な緊張感にあふれた空気が充満してて、意味が分からないわたしは変な空気になおさら意味不明。先生が口を開いたと思ったらその瞬間にオマニボーイはめちゃくちゃ早口な怒り口調で異議申し立てをしました。

「今日が僕の人生最後の日かどうかは神にしか分からない。全ての事は神が決める。それは僕だけでなく全員にとっても同じ。今日や明日や一年後を決めつけて知りもしない未来のことを話すなんてバカバカしい。僕は “if” を信じないしそんなのあり得ない。」

こんなに起こってるのは彼だけだったけど、もちろん他のモスリンたちもうなずいてはいました。びっくりしたなー。“もしも”を信じないというか、そもそもそんな感覚になったことないし、信じることが “出来ない” 人がいるなんて。

そもそも神の存在を本気で心から信じているなんて、宗教ってなんなんだ。。

だけど、 “もしも” を信じたら。。。明日が人生最後の日かもしれないなら、今日を大事に過ごそう。周りに感謝してやりたいことをやろう。明日が最後かもしれないんだから、今命がある事を素晴らしいと思って大切に大切に生きよう。って思える。

反対に、 “もしも” を信じなかったら。。。今日が最後かどうか、明日があるかないかは神のみが知っている。だから未来の事なんて決めつけないで、命ある今をただただ大切に、価値あるものとして、精いっぱい生きなくちゃ。って思える。

結局どちらであっても行き着く答えやその時の気持ち、思想は似たものなのかもしれない。だとしても、 “もしも” というポジティブにもネガティブにも変化しうるこの言葉は日本人のわたしたちのありきたりな日常に常にいつでも散りばめられている訳で、

彼らの発言から宗教観の違い、信仰の深さ、文化の違い、国民性、、、、ほんっとうにものすごく考えさせられました。イスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教、アジアは仏教が多いかな。それぞれの宗教によって価値観の違いや、重きを置く部分が違う。知れば知るほど疑問も増えるし、なるほどな、とも思う。でもだからといって、その意見に賛同や共感できるかと言われたら、かなりの確率で賛同も共感のできないけれど、

そういう考えを持った人がいて、その思想やその哲学を彼らは心から大切にしているってことは理解できるようになりました。そんな風に思えるようになったのも、彼らのおかげなので、感謝の気持ちでいっぱいです。

そんなエピソードを今日は書いてみました。

ひとつの空間にあるふたつの国同士の潜在意識

前回までの記事でタイワニーズボーイとロシアンガールについて書きましたが、わたしがその2人と仲が良かったから、3人で遊んだりもしていたんですが、あるときタイワニーズボーイがわたしと2人の時に戦争について話はじめ、こんなことを言ってきました。

「The war happen between the China and Taiwan in nearly future I think. And if that will happen, Taiwan will lose. Because.. Japan is always caring Taiwan, But America and Russia is China’s bestie.」(近い将来に中国と台湾は戦争になると思うんだ。そして、もし本当にそうなったらきっと台湾は負ける。だって、日本はいつも台湾の見方でいてくれているけれど、アメリカとロシアは中国と仲間だから。)

これを聞いたときにすごく混乱しました。ロシアンガールと接することが、彼的にはいい気持ちがしなかったんだとわたしは何も知らず。。

「I didn’t meant “I hate her.” She is nice, but I don’t know why I am thinking about that every time when I see her.」(“彼女の事が嫌い”っていう意味ではないんだ。彼女はいい子だよ。でも、なんでかわからないけど、彼女と会うたびにそれを考えちゃうんだ。)

ロシアンガールはロシアンガールでわたしと2人の時に同じようなことを言っていました。

「Taiwan.. I’m not hate him, but I don’t like that country.」(台湾。。彼のことは嫌いじゃないけど、あの国はあんまり好きではないかな。)

潜在意識ってすごいなって純粋に思いました。そして、誰も何も悪くないのに、国同士の関係が原因となって人間同士の関係でさえも揺らがせてしまうことに、なんだかとても大きな寂しさを感じました。お互いものすごく魅力的で素敵な人間性をこんなに持っているのに、なんで素直に友達になれないんだろう。

友達のスタートラインの時点でマイナスポイントとして性格でも人柄でもなく 《国籍》 が反映されちゃうなんて絶対におかしい。それを聞いたときわたしは何も言えなくて、なんて答えていいか分からなくて、頭の中がぽかーんとしていました。だってあんなにギラギラした彼の目を見たことなかったし、本当に私は平和な環境で、いろんな意味で安全な国でぬくぬくと育ってきたんだなーと。

2人ともが大好きで大切な友達だから、どっちのことも嫌いになって欲しくなくて、でもだからといってわたしが何かできるわけでもなくて、ただ自分の中で無限に考えていただけでした。

同じクラスで、たった20人程しかいないひとつの空間に、無意識の敵対心や敵意が確実に存在していて、毎日笑顔であいさつしていたのに、その笑顔の裏にはそんな感情がお互いに隠れてたんだなって思うと心がずんと重くなりました。

台湾の人って自分の国に誇りを持っているし、 「僕たちは中国人じゃない。中国なんかと一緒にすんな。」 ってプライドも高いから、そういう面でアイデンディティを保っているのがすごく印象的でした。恋愛で相手を選ぶとき、 “わたしは何よりも中身よ” ってわたしたちは言えるけど、いろんな民族が入り混じってて、いろんな言語や宗教や価値観が共存している国の中では “何を差し置いても中身” って言葉だけじゃ通用しないこともあるんだな、なんて思ったり。

どうにもできないことだけど、とってもとっても考えてさせられたエピソードでした。 

ロシア人とその特徴

わたしの5つ年下で、大親友であり、妹のようで、特別な存在のロシアンガール。いつか一緒に住みたいねって話をしていた頃が懐かしい。ことあるごとに連絡は取り合っていて、オンラインで通話をしたりもしていましたが、今、ピンポイントで世界情勢が影響し、突然連絡が取れなくなってしまいました。

ロシアは世界地図で見る通り大きな国で、いろんな民族が入り混じっている国。宗教に関してはキリスト教正教会、仏教、ユダヤ教、など様々な宗教が信仰されていますが中でも正教会がもっとも信仰されています。先を考えなくて単純な人が多い。家族はもちろん大切にするけど、台湾とは逆で友達を大切にする。長い歴史的背景が関係して、相手のことを心から信頼しにくいんだって。でも、だからこそ信頼できる相手が出来たらとことん大切にする。これはロシアに限らずだけど、裏表がなくてさっぱりした性格で、Yes / No がはっきりしている。馬鹿騒ぎやパーティーが大好きな傾向にあるとのこと。

彼女とどうやって仲良くなったのか、そのきっかけってあんまり覚えてなくて、彼女とわたしは周りに比べて比較的滞在期間が長かったから少しずつ距離が縮まって気づいたら大親友になっていました。ランチには何度もマックに。 「せっかくロンドンにいるのにそんな毎日マックは嫌だよ~」 って言ってたんだけど彼女はマックが大好きで懲りずにいつも行っていました。ブロンドブルーアイでモデル並みに細くてぱっちぱちの二重で、透き通るような真っ白な肌で、何度羨ましいと思ったか!笑

でもなにより性格がよくて飾らない彼女の人柄が大好き。彼女もわたしと過ごす時間を大切にしてくれてて、高確率で一緒にいました。彼女のステイしていたファミリーに招待してもらってディナーご馳走になったりもしていろんなところにも一緒に行って、とにかくいつでもお腹抱えて笑っていました。

「My dream is always same. I wanna live with you someday. I can’t understand most English now, but I can understand only yours! You made my day!」

帰国してからも関係が続いて、彼女との時間に触れているとほっとするし、こんなに離れているのに、あったかくてしっかりとつながりを感じられるってすごいよなぁ。信頼の置ける友達のことを心から愛して大切にするってロシアのお国柄って素敵だなって感じます。

思いやりがあって相手を尊重するけど嫌なことは絶対に嫌。自分のあっさりな性格を見ても彼女とはこんなに気が合うし、一緒に住める未来が来たら絶対楽しいよな。今の社会情勢を考えるとなおさら、そんな夢がかなう日って奇跡だなって思います。

ここで話は最初に戻りますが、今現在、ロシアとウクライナが戦争をしています。ロシア国家はInstagram と Facebook は 《過激派》 組織であると指定し、3/14 ネットワークを遮断しました。海外の人とやりとりは基本的に Facebook か Instagram でしています。そのニュースが届いた時にはすでにインスタの回線がダウンしており、インスタのアカウント自体は残っているのですが連絡が取れない状態に。 Facebook に関してはページ自体がなくなっていました。

こんなことって本当に起こるんですね。まさかそんなところに影響が及んでくるなんて思ってもいませんでした。わたしみたいに友達と連絡が急に取れなくなってる人ってきっとたくさんいると思います。そして、それだけではなく、ロシアのインスタグラマーは強制的に職を失うという事態に陥っています。

インスタ遮断にあたって、ロシア発祥のローカルなSNSへの移行を国家は促していますが、世界規模のインスタであったからこそインスタグラマーという職業が成り立っている訳で、これは立派な社会問題だと思います。

この社会情勢は他人事ではありません。なにより罪のない人が死んでいる。なんのために?どうして?このニュースにあまり親近感がない人も、きっと影響は受けているはず。身近なところでいうと、スーパーでいまサーモンが品切れ続出。航空規制とか輸入の問題でいろいろなものが被害を受けています。

一刻も早く世界に穏やかさが戻ってきますように。。

台湾人とその特徴について

イギリスでわたしが通っていた学校の学生の色彩食はとっても豊かで、1クラス20人程度の空間には様々な国籍が入り混じっていました。イスラム教についての記事でサウジの友達について書きましたが、ちょっと面白いかな、と思うので、その時から今でも繋がりがあるいろいろな国の友人たちについても、今後書いていきたいと思います。

今回は、タイトル通りなのですが、台湾人の友達について書かせてください。本当に素敵で大好きで、今でも仲良しです。彼とは入学日が割と近くてクラスも一緒。そこからちょっとずつ話すようになりました。

台湾人とその特徴について。

みんなが思う台湾のイメージって 【親日】 ってことかな?わたしは親日ってことすらも知らないくらい世界に対して本当に無知だったので、いろいろ知っていくうちに感じることが、他の人よりも大きかったように感じます。お恥ずかしながら、台湾って “中国の中の都市の名前?” くらいに思っていたこともありました。

さて。台湾は98%が漢民族だそうで、気候は北は亜熱帯、南は熱帯。宗教の自由が保障されている国で、無宗教の人も少なくないんだって。道教・キリスト教・仏教が多いんだけど友達は無宗教でした。自分の国に誇りとプライドがあるから、中国と一緒にされるのを嫌がる。

家族のことをとっても大切にする人が多くて、家族での行事が多かったり、家族の中での交流がとても深い。友達よりも家族とのかかわりが深い印象です。メンツを気にするからあまり謝らないし、時間にもいい加減。

調べてみて出てくるワードひとつひとつに、なるほどねーたしかになーと頷けることばっかり。ここで書くのは1人についてだけど、今まで出会ったタイワニーズを思い返すと当てはまることだらけ。

その彼は、 「I’m same age as you Coco.」 (Cocoと同じ年だよ)って言うんだけど、日本の考え方でいうと、彼はわたしの1つ年下。というのは、台湾ではお腹にいる時の年から数えるので、産まれてきたらもうすでに1歳。

彼とはご飯食べに行ったりお酒飲みに行ったり、別の友達と4人でパリ旅行にも行ったりしました。イギリスのバンクホリデーっていう日本でいう祝日に、2泊3日でパリへ。その中で、彼は自分の買い物は一切せず、家族1人1人からの “これ買ってきてリスト” を遂行するために奮闘していました。自分のはいいの?と聞いても、 「家族が喜んでくれればいいんだ、みんなはパリには来られてないし。」とのこと。優しい。

時間には基本的に遅れるし、それでも謝らないし、明らかにそっちが悪い時でも言い訳ばっかりだし、でも根がすごくいい人なのが分かってるから憎めないし、笑顔が本当にかわいい男の子で、人懐っこくて、でも大事なところでは男らしく力を発揮してくれる頼れる存在でした。

台湾には徴兵制度があるから、彼も台湾に戻った後は軍隊で1年間過ごしていました。日本人のわたしたちには馴染みがないし考え難いけど、そういう国だから幼い時から戦争についていろいろな考えを持っている彼ら。わたしにはない価値観をたくさん持っていました。

彼はわたしよりも先に帰国することになっていて、彼が帰国する前日を2人で一緒に過ごしました。彼もわたしのことを身近に感じてくれていて、ロンドンでの最後の日を一緒に過ごしたいと言ってくれました。大好きな街でやっているマーケットに行ったりミュージカル観たりして過ごして、電車で最後の会話をした時に、家族や戦争について話してくれて、その目が今まで見たことないくらいギラギラしていたのははっきり覚えています。ひとまず、タイワニーズボーイについてはここまで。

日本人とサウジアラビア人の感覚の違いPart3(断食編)

前回に続いて、最後は断食について書いてみます。

彼らが断食をするのは1年に1か月で、その期間(その1か月)のことを、 【ラマダン】 といいます。でも、断食と言っても1か月まるまる断食してたら誰でも死んじゃう。。  

ラマダンは太陽が昇っている時間帯の断食です。その1か月の時期は新月が確認されてから決まるので、毎年若干時期は違います。この断食の義務は、前に書いた六信五行の “五行” の中のひとつで、 食事、水分、喫煙、性交渉 を控えなさいって要求するものなんだそう。

断食をすることによって、自己犠牲とか、空腹を経験したことによって得られる飢えた人への共感心とかを育むことがもともとの目的だったそうです。いろんな欲を捨てることで、神様への奉仕に没頭すること。断食をすることによっていろんな邪念を振り払って身を清めるっていう考えなんだって友達は教えてくれました。

ラマダン中は日が沈んだら家族や友達が集まって1日分の高カロリー食を食べます。サウジの彼の街では(どこでも大体は同じなのかな?)日が沈むと食事をするために、みんな一目散に家に帰ったり、逆に道に人がたくさん出たりして、貧しい人に夕食をご馳走したりするんだって。

ラマダンはその時に自分の母国にいなくてもすることで、日があるうちは食事もしないし水分も摂らない。。。ってことは、日が長い国にいたら。。。?!?!

事実イギリスの夏はとっても日が長くて20:00くらいまで明るい時期もあったので、サウジアラビアほど気温が高くないとはいえ、大変だろうなってすごく思っていました。毎週金曜日の授業後はリバーサイドにみんなで集まってお酒飲みながら空いた缶を鳴らしながらスナック片手に歌ったり踊ったりしながら、いつも夜遅くまでゆったりとした時間をみんなで過ごしてたんだけど、モスリンの彼らももちろんその場には来てるけど、もちろんお酒なんてタブーだし、ラマダンだから食べられないし。モスリンはいつもその場にいながらフットボールしたり走り回ったりして汗だくになりながら日没を待っていました。

汗流しながら走り回って動きまくってたら余計にお腹減るじゃん!!!って思ってスゴイ心配したのをはっきり覚えています。。

彼らは自分たちの習慣を決して相手に強要しないし、“あなたはあなた、わたしはわたし” って相手の価値観を尊重してくれるから、わたしも彼らと話をしながらお酒も普通に飲んでました。

その長い長いラマダンの1か月が終わる時は、彼らの中ではお祭り騒ぎになるくらいおめでたいことで、家族をはじめとするいろんな人への愛情とか感謝の気持ちで溢れるんだって♡

ひとつ前に書いたスカーフの下の姿を見せてくれた女の子は弟と二人でイギリスに留学してたんだけど、その弟はラマダンが終わった時お姉ちゃんにシルバーの指輪をプレゼントしていました。 “いつもありがとう、これからもずっとよろしくね。大好きだよ。” って。

そのエピソードをピュアで真っ直ぐな視線で語る弟に、その時のわたしは心底感動しました。ラマダンって辛そうだな。。なんでそんなに苦しい思いして毎年毎年やるのかな。。って純粋に不思議に思ってたけど、その疑問をそのまんま質問したら、 「辛い時もあるけど、そのぶんだけ家族とか大切な人に感謝できるし、僕たちの健康にとっても良いことだから1年に1か月しか出来ないのが残念なくらいだよ。もっとやりたくても出来ないし、やりたくなくてもやらなきゃだから、この1か月は僕らにとってとっても意義のある期間なんだよ。」 と話してくれました。わたしにとって凄く新鮮で、斬新でした。

彼らのことをこんなにこんなに好きになれて、彼らからこんなにこんなに多くを学べて、わたしは心から彼らと出会えたことに感謝しています。イスラム教って聞いたらプラスもマイナスもいろんな意見が飛び交う今だけど、これを読んでくれた方たちがちょっとでもあたたかい気持ちになってくれたらわたしはとっても嬉しいです。

日本人とサウジアラビア人の感覚の違いPart2(恋愛編)

あとものすごく違う!って感じたのは恋愛について。男女の関係については恋愛にオープンなわたしたちからしたらとってもシビアな国で、友達の話では、今はちらほら男女共学の学校も増えてはきたみたいだけど、基本的に学校は男女別だから出逢う機会もないし、そういう文化だから結婚相手は親が決めるのが今でも多くて、結婚式も男女別。(これはさすがに意味が分からない!)男女で歩いているカップルを取り締まる警察がいるって聞いたときには本気で驚きました。

結婚前に体の関係を持つなんてもちろんもってのほかで、それ以前に “付き合う” っていう文化があんまりないみたい。もちろん今はいろんな流れがあるみたいだけど、

結婚を決めます →→→ 実際に会ってみます →→→ デートをします →→→ 式を挙げます →→→ 男女の関係開始!

って流れも主流みたいで、っていうことは、 “好きになったらまず結婚を申し込む!” っていうこと。交際なんて珍しいんだって。 “イスラムの男の人はすぐ女を口説く” = チャラい人ばっか みたいな声もちらほら聴くけど今までの話を含めて考えると、チャラいんじゃなくて彼らの流れに従っているだけだから逆にそれが正統派。

結婚を約束せずに口説いて、 「付き合ってよ。」 なんて、そっちの方がチャラい。だからモスリンの男の人に言い寄られることがもしあったとしたら、始めに結婚をほのめかされなかったら遊びだと思った方がいいかもしれません。逆に結婚を約束して告白されたとしたら相手は本気の本気なので、こっちにその気がないのだとしたら、ちゃんとお断りしないとかえって相手に悪いことをしてしまうことになる。

前に書いたサウジの彼はわたしに本気になってくれてたし、もちろんわたしも本当に彼が大好きだったし、だけどやっぱり宗教の違いとか、関係を持つには高すぎる壁があったので彼もそれをわかってくれながらも、熱いメッセージをくれていました。

彼らの熱さは本当にすごいです。ひとつ前のアメリカ人についての記事にも書きましたが、サウジの人たちも全員に共通はしないだろうけど、会っていない時間とか距離とかは関係なくて、 “出逢った事実” “一緒に過ごした事実” を大切にしているんだなって感じます。サウジの彼とはロンドンで出逢ってお互いの国に戻ってから一度も会えてないのに、いつでも情熱的なメッセージを送ってくれます。

その時の会話をちょっと紹介してみます。わたしが大切な人を亡くした時にそのことをちらっと話したらその慰めと共に来たメッセージです。

サウジの彼 「I will never leave you Coco. Our country is so far but our heart is very close.」“僕は絶対に君から離れたりしないよ。そうだよね、僕たちの国は遠いけど心は近くにいるからね。”

わたし 「How can I say thank you, I can’t sent you my feeling just “Thank you ” it’s not enough for me. So I send you hundreds of thank you for you.」“(慰めに対して)どうやったら感謝を伝えられるかな。ただ “ありがとう” って言うだけじゃ足りない。だから100個の “Thank you” を贈るね。”

サウジの彼 「That’s very nice to hear from you Coco♡ I want to prove my love to you but I don’t know how can I prove because I love you so much also maybe you don’t know about that. I just want to show you my feelings about you and I want to say thank you so much to you.」“それを聞けてとっても嬉しいよ。君のことをどれだけ愛してる(大切か)か伝えたいのに、どうすれば証明できるか分からないんだ。君のことをこころから愛しているんだけど、きっと君には伝わっていないと思う。僕の君に対する気持ちと心からの感謝を見せたいんだ。”

サウジの彼 「Coco I don’t know how to explain my feelings about you in my heart, but I am sure that you are the best girl ever and my best friend ever I met. Always I said to Abdullah that I love Coco, she is cute and she also has true feelings about anyone else and Abdullah agree with me. Be sure I will do anything to meet you again and again. If you choose anyone to be your boyfriend or husband, believe me he will be the most lucky person in the world. I always pray to my God to see you soon.」“僕の心の中にある君への気持ちをどうやって説明すればいいか分からない。だけど、君は今まで僕がであった中で一番の女の子で、一番の親友であることは確かなんだ。僕はいつもアブドゥール(彼のいとこ)に「Cocoのことを愛してるんだ。彼女は素敵で、他の誰も持ってない本当の感情を持ってるんだ。」って話すんだ。そして、彼は僕の意見に賛同してくれるんだ。君にもう一度会うためなら、僕はどんなことでもするよ。もし君が、誰かひとりボーイフレンドや結婚する相手を選んだとしたら、僕を信じてね、その彼はこの世界中で一番の幸せ者だよ。僕はいつも神様に「早く君に会えますように」って祈っているよ。”

サウジの彼はわたしのことをよく理解してくれているので、いまは恋愛としての感情というより、大切な友達や家族に対する愛情の方を言葉の端々から感じます。

別の時に知り合ったモロッコ人の男の子の一人がわたしに好意を持ってくれ、帰国してからスカイプで話した会話も載せてみます。このモロッコ人の男の子はサウジの彼とはちょっと違ってがっつり恋愛目線だったので、少しずつ遠のいちゃいましたが。。

モロッコボーイ 「I am really afraid. To fall in love with you. ’cause you are amazing.」“とても怖いんだ。君に恋してしまうことが。だって素晴らしい人だから。”

わたし 「I don’t think so.」“そうは思わないけどな。”

モロッコボーイ 「I’m serious. I swear you are such a different person from others. Because I feel it. You are walking miracle and special. Believe me.」“僕は真剣だよ。誓うよ、君は他の人と違う。だってそう感じるんだ。君は歩く奇跡だし、特別なんだ。信じて。”

わたし 「Thank you. But you know we live such a far away.」“ありがとう。でも、わたしたちこんなに遠くに住んでいるでしょ。”

モロッコボーイ 「It doesn’t matter. Are you feeling free with me? Just keep smiling and be happy.」“そんなの関係ないよ。君は僕に対して自由を感じてる?ただ笑って、幸せになろうよ。”

わたし 「What do you mean?」“どういう意味?”

モロッコボーイ 「Can I say something? Will you be my life? I want you to be someone special in this world and just only you forever.」“ちょっとだけ言ってもいい?僕の人生になってくれませんか?僕の特別な存在になってほしいんだ。この世界中でただ一人の、そして永遠の。”

わたし 「You don’t know much about me.」“あなたはわたしのことそんなに知らないでしょ。”

モロッコボーイ 「Listen to me. Do you believe LOVE? I like you so much and I felt in love with you from the very beginning. I’m so sorry if that disturbing you.」“聞いて。君は愛を信じる?僕は君のことが本当に好きなんだ。出逢った最初から君に恋してたんだ。もしこれが君を困らせていたらごめんね。”

わたし 「I do believe LOVE. But It’s really different I think.」“愛は信じてるけど、これはそれとはわけが違うと思うんだけど。”

モロッコボーイ 「I’m sure this is LOVE. So.. again.. Will you be my special? I swear I’ll never leave you alone and be with you anywhere you want. And living under one roof.」“これこそが愛だよ。だから、もう一度言うね。僕の特別になってくれますか?絶対に君を一人にはしないし、君の行きたい場所ならどこへでも連れて行く。そして、一つの屋根の下に住むんだ。”

わたし 「I am really sorry I think it’s not kind of reality. I don’t go to Morocco, also I have all in Japan that I thought “special things for me” right now. And most of all, I’m not fall in love with you. But thank you. I’m sure you will able to find great girl more than me in Morocco.」“本当に申し訳ないけど、リアリティーがなさすぎると思う。わたしはモロッコには行かないし、わたしが大切だと思う全ては今は日本にある。そして何より、わたしはあなたに恋していない。だけど、ありがとう。あなたはモロッコで、わたしよりも素敵な人をきっと見つけることが出来ると思うよ。”

モロッコボーイ 「I see… I wish I could rule the earth and make your dreams come true. If I could, you’ll fall in love with me.」“わかった…僕が地球を操れて君の願いをすべてかなえられればいいのに。もし僕がそう出来たら君は僕に恋するのにな”

これはわたしが素晴らしい人間と思われていたとか、どれだけ愛されていたとか全くそういうことではなくて、彼らの人間性というか、こういう風に大切だと思った人のことを真っ直ぐに愛してそれを気持ちのままに伝えることが出来るってこと。こんな風に好きな人から愛されるって幸せですよね。

話は変わりますが、モスリンの女性がいつもスカーフで髪を隠しているのは、髪はセクシーなもので、男性を誘惑してしまうからっていうのが理由から。自分の髪を見せていいのは血のつながった男性か家族、親戚のみ。女性同士だったら全然OKみたいで、わたしもモスリンガールの家に行って初めてスカーフの下の姿を見せてもらった時の感動は一生忘れないくらいの感動でした。美しかった。。

でも、普段の姿よりスカーフを巻いている姿の方がわたしには何倍も色っぽくてセクシーに見えました。“スカーフ外したらどんななんだろう…♡♡♡”って妄想しちゃうからだな、きっと。

モスリンは家族に対しても友達にしても、 《愛する人をこころから大切にする》 っていうのがサウジだけじゃなくていろんなイスラムの国の人と接する度に常に感じることです。恋愛に限らず、 “人を信じて人を愛する” ことは、彼らにとっての 生きること であるように私には感じられました。

恋愛編はここまで!

日本人とサウジアラビア人の感覚の違い(わたし的意見)

今回は、サウジの友達との出来事から感じる感覚の違いというか、いろいろについて書いてみます。わたしがイギリスにいたときに、いろんな国の友達ができたんだけど、サウジのみんなとの出来事がいろんな面で刺激的でした。イギリスは多民族国家だし、イスラム教が広く布教されているから、イスラム諸国の人たちもとても多くて、わたしの行っていた学校でもイスラム国の人たちがたくさんいました。

彼らとの出逢いで、なかなか巡り会えないベールに包まれているかのようなイスラムの国の人たちやその文化を大好きになれたし、深く知れたし、彼らに感謝しています。

同じ学校にはサウジアラビア人の学生が多かったけど、カタールやオマーンの学生もいました(“学生”といっても年齢は様々で、大人もたくさん)。みんなアラビア語で会話をしているから、ほんと何言ってるか1mmも分からなくて、理解できたのは、唯一彼らに教えてもらった【شكرا لك】(ありがとう)だけでした。

日本との違いは、まずは何より宗教観ですよね。別の国に行くときっとみんな日本の宗教観の薄さ??軽さ??に気づくと思いますが、わたしもそうでした。

イスラム教には【六信五行】といって、信ずべき6つの信条と実行すべき5つの義務というものがあって、それはただ信じているだけでは話にならなくて、それを行ってこそイスラム教徒である、とされています。

6つの信条には。。。①アッラー  ②天使  ③啓典  ④預言者  ⑤来世  ⑥予定  というものがあり、5つの義務には。。。①信仰告白  ②礼拝  ③喜捨  ④断食  ⑤巡礼  というものがあります。1つ1つ説明していくとなんだかややこしい話になってくるので、コアな部分が気になる人は、調べてみてください。

イスラム教徒はその教えに従って生きていて、その教えの基に思考や行動があるということを少し知っていて欲しいです。まずわたしがとっても強く感じたのは彼らの“シェアする文化”。モスリン(イスラム教徒)は施しの精神に満ち溢れていて、“ゲストはもてなすもの” “幸せは分かち合うもの” 「だから、あなたのためにシェアさせて✿」 みたいな感じの人が多くて、基本的にみんなとってもとっても親切です。

ランチタイムはいつもみんなで公園の芝生の上でごろごろしながらお昼食べてたんだけどサウジの女の子はいーっつも、 「Try it!」(食べてみて) って自分で作ってきたごはんとかお菓子とかを勧めてくれて、喜ぶわたしたちを見て心から幸せそうな顔をしてくれていました。

モスリンは1日のうちに夜明け、正午、午後、日没、夜半の5回のお祈りが義務です。だからホームステイやフラットシェアをするモスリンの学生はみな、イギリスに住むモスリンの家にステイしていました。わたしはフラットシェアだったのですが、ランドレディは以前モスリンを受け入れたとき、文化の違いにいろいろ大変な思いをしたと話していました。「同席している食事の途中でも時間が来ると彼らは“ちょっとお祈りに…”ってお祈りをしに行っちゃうからわたしは独りで食事をしてたのよ。」とジョークにしていました。笑

モスリンがお祈りをやめるということは、神とのつながりを絶つことになるのだそう。日本人のわたしたちにはなかなか理解が難しいけど、彼らにとってものすごく大切な儀式だってことはモスリンの友達を間近で見ていて実感しました。

そしてサウジの場合に限るのかもしれませんが、留学制度が広く普及していて、海外で留学するための費用は全部国家持ち!っていう制度のよう。だけどその制度を使って留学した人は帰国した後○年は国で働いてね、っていう条件付きなんだって。

でも私が友達になったサウジの子たちはみんな家がお金持ちの子ばっかりで、「洗濯とかはメイドさんがするから」って普通に言ってて驚きました。

長くなってきたので1度区切ります。

日本人とアメリカ人の感覚の違い(わたし的意見)

今回は、海外の友達と接していて感じる日本人との違いを思いつく限り書いてみようと思います。当然個人差はあるし、価値観によっても変わるから参考になるかはわからないけど、わたしの感じる部分を。。

私が一番接する機会が多かったのはアメリカ人。アメリカ人って個性を重んじる。いつもそう感じます。それに比べて、日本人は周りからどう見られるか、どう見られているかを物凄く気にして、周りと違うことをせず、周りに溶け込むことを大切にしているように感じます。

そんなことないって言う人もいるかもしれないけれど、そう言っている人ももしかしたらきっと無意識のうちに世間体や他者の目を気にしちゃってることってあると思います。もちろんそれはわたし自身にも言えること。

不倫だ浮気だ離婚だデキちゃった婚だなんだって、そういうことが絡んでくると、みんな当事者でもないくせに人を評価や批判をしたがるし、あれこれ口を出したがる。アメリカ人って、そういうのがないように感じる。

日本人だったら親が離婚していたり異母兄弟がいたりしたら、それだけで自分のことを無意識に卑下してしまうし他者にそんなこと話したくないって思うし。そう思うのは、そもそもそれを聞いた人が良い顔しなかったり、戸惑って変に気を遣ったりするんだろうなっていうのを最初から分かっているからであって。

自分の息子が若くして結婚前に彼女を妊娠させてしまったら、まず「責任はどうとるんだ!?」って怒り狂って相手の両親に頭を下げに行ったり(これはさすがに昭和過ぎかな?今はもうそんなことない?)

「あなたのご主人浮気してるよ。」ってご近所さんから耳にしたら、世間体を気にして外を歩くのがしんどくなったり、 ゲイ=普通じゃない って捉えて、静的マイノリティであることを隠し通して生きていこうとして思い悩んでしまったり、周りに本当の自分をカミングアウトできずに苦しい思いをしたり。今は前よりはオープンな世の中になってきてはいるけれど、まだまだ全てがそうではなくて。

相手を白い目で見たり見られたり、 “健全さ” が当たり前に大好きで、それをとても重んじる日本の国民性。健全である事ってそんなに大事なことなのかな?疑問。

何を以て健全とするかはそれもまた国やその人によって違うんだろうけど、日本でいう “健全” って要するにそういうことでしょう?相手に変に気を遣いながら、心の中ではマイナスとして捉えちゃう。 “気を遣う” っていうのは良くも悪くも日本人ならではの国民性なんですよね。うーん。。。個人的にはあまり好きじゃない。。時と場合によっては気を遣うことって必要ではあるのだけれど。

アメリカの人は “対 個人” として相手を見る印象で、「両親最高に仲悪くてね、異母兄弟がいるし。ママは不倫してるよ。パパは浮気してるよ。それにお兄ちゃんがゲイでね、わたしは32歳年上の人と最近付き合い始めたんだ。」 みたいにオープンだし、

それを受けた方も、「そうなんだ~!わたしはあなたが好き。それだけよ、大好き。だからわたしはあなたと一緒にいる。32歳も年上の人?すごい!どんな素敵な人なの?」みないな。

世間体とか偏見とかないし、 “わたし” が “あなた” をどう思うか。どう考えるか。それには家族とか育った環境とかその人を取り巻く他の要素はあんまり加味されていなくて、重要なのは “わたし” にとって “あなた” がどういう存在であるか。まずその結果があってから、その他の事に視線が向く。もちろん個人差はあると思うけど、わたしが接してきた友達はみんなそういう視点で相手を見ていました。

あとはアメリカは性にもとてもオープン。日本はオープンではないですよね、むしろセクシュアルな話題に対して消極的。

ついこの間食事に行ったときに、隣の席の合コンらしき集まりの中の女性陣が男性陣に対して、「どんな女性が好み?」って質問をしていて、その男性陣のうちの一人が「ごめんね、引くと思うんだけど、顔とかよりも体なんだよね、俺。」って答えていて、「ありえなーい!」「無理~」と女性陣は拒否の姿勢。まぁ、顔より身体に目が行くことはともかく、なんで “ごめんね” なの?そして 「無理~」??好きなんだもん。好きでいいじゃない?それがタイプなんだもの

そういう行為に対する話も、みんな外ではあんまりしないじゃない? “下ネタ” としてセンスなく下世話な感じで話題にはするけど、それに対してのマジな会話って表であんまりしない。

でも、生きていくうえで重要なことだし、みんな好きな人とはしたいって思うよね?誰だって。とっても素敵なコミュニケーションだし、誰だっていっぱいしたいし、したいと思ってもらいたいし。そういう話が日常的だって別にいいじゃない。全然素敵なことだと思うけど、世間はそうではないみたい。

長くなってきちゃったので、いったん区切りまーす。