日本人とアメリカ人の感覚の違い(わたし的意見)Part 2

あとは時間の流れとか、時間に対する感覚、価値観が日本とはとっても違う気がします。ディズニーの 【アナと雪の女王】 の ♪生まれて初めて~♪ 日本語訳では “生まれて初めて” ですが、英語ではここの部分、♪for the first time in forever♪ という歌詞になっています。

要は、 『久しぶり』 だってことをこういう表現で表しています。 “for the first time in a long time” も同じで “久しぶり” って意味ですが、アメリカ人の時間に対する価値観はなんとなく、人の一生をものすごーく長~い線で表しているように感じます。

友達と高校の頃のことを話していた時、『It’s like thousand years ago!』 (それって千年くらい前の話だよね!)って誰かが言っていて、わたしの感覚だと “高校生ってつい最近じゃん!” って思って驚いたのを覚えています。

英語は時だったり量だったりをさっきの例文みたいに “久しぶり” に “forever” を使ってみたり、 “ずっと前” っていうのを、 “thousand years ago” って言ってみたり。あとは “たくさん” を “hundreds of” って言ってみたり。

この前見た映画に中では 『わたしはこの仕事を6年続けてるの。』ってヒロインに対して、 “6 years… wow.. like forever.” って返しが印象的でした。

何の話だったっけ?あー、時間の流れ!

『Good morning.』 って、 “いい朝ですね” → “おはよう” っていう意味では本来なくて、 『I hope you’ll have a good morning.』 (あなたが素敵な朝を過ごせますように。) っていう言葉が縮まって、 【Good morning】 になったんだけど、 『Have a nice day.』 とかもそうで、その “朝” とか、 “1日” とか、そういう単位で、 “今日1日、今この瞬間” を大切にしているからこそ、1年先5年先は遥か遠い将来っていう感覚になっているのかなとも思ったり。

わたしだったら1年後なんてほんとあっという間に思っちゃうけど、そうやって1日を大切に、今あるこの瞬間を悔いのないように生きることで、その価値観はどんな風にでも変わっていくのかもしれないな。

あとはね、とってもとっても思い出を大切にする。家族がバラバラになって暮らしていたり、別の国で働いていたり、そういうのが当たり前だからか、 “去る者は追わないけどあなたとの思い出は絶対忘れない” っていうのがアメリカ人の特徴かなと、個人的に思います。

2年ぶりに会って、わたしが忘れちゃってるようなすごく昔の出来事であっても、2年ぶりなのに隅から隅まで覚えていて。まるでそれが昨日起きたことかのよう。日本人も思い出は大切にするけど、、その種類が違うように感じました。とっても興味深いことだし、国によっての国民性とか性格とか、価値観とか、本当に面白い。

場所が変わればこんなにも考えが変わる。

今度はサウジアラビアについて書いてみようと思います。

  

日本人とアメリカ人の感覚の違い(わたし的意見)

今回は、海外の友達と接していて感じる日本人との違いを思いつく限り書いてみようと思います。当然個人差はあるし、価値観によっても変わるから参考になるかはわからないけど、わたしの感じる部分を。。

私が一番接する機会が多かったのはアメリカ人。アメリカ人って個性を重んじる。いつもそう感じます。それに比べて、日本人は周りからどう見られるか、どう見られているかを物凄く気にして、周りと違うことをせず、周りに溶け込むことを大切にしているように感じます。

そんなことないって言う人もいるかもしれないけれど、そう言っている人ももしかしたらきっと無意識のうちに世間体や他者の目を気にしちゃってることってあると思います。もちろんそれはわたし自身にも言えること。

不倫だ浮気だ離婚だデキちゃった婚だなんだって、そういうことが絡んでくると、みんな当事者でもないくせに人を評価や批判をしたがるし、あれこれ口を出したがる。アメリカ人って、そういうのがないように感じる。

日本人だったら親が離婚していたり異母兄弟がいたりしたら、それだけで自分のことを無意識に卑下してしまうし他者にそんなこと話したくないって思うし。そう思うのは、そもそもそれを聞いた人が良い顔しなかったり、戸惑って変に気を遣ったりするんだろうなっていうのを最初から分かっているからであって。

自分の息子が若くして結婚前に彼女を妊娠させてしまったら、まず「責任はどうとるんだ!?」って怒り狂って相手の両親に頭を下げに行ったり(これはさすがに昭和過ぎかな?今はもうそんなことない?)

「あなたのご主人浮気してるよ。」ってご近所さんから耳にしたら、世間体を気にして外を歩くのがしんどくなったり、 ゲイ=普通じゃない って捉えて、静的マイノリティであることを隠し通して生きていこうとして思い悩んでしまったり、周りに本当の自分をカミングアウトできずに苦しい思いをしたり。今は前よりはオープンな世の中になってきてはいるけれど、まだまだ全てがそうではなくて。

相手を白い目で見たり見られたり、 “健全さ” が当たり前に大好きで、それをとても重んじる日本の国民性。健全である事ってそんなに大事なことなのかな?疑問。

何を以て健全とするかはそれもまた国やその人によって違うんだろうけど、日本でいう “健全” って要するにそういうことでしょう?相手に変に気を遣いながら、心の中ではマイナスとして捉えちゃう。 “気を遣う” っていうのは良くも悪くも日本人ならではの国民性なんですよね。うーん。。。個人的にはあまり好きじゃない。。時と場合によっては気を遣うことって必要ではあるのだけれど。

アメリカの人は “対 個人” として相手を見る印象で、「両親最高に仲悪くてね、異母兄弟がいるし。ママは不倫してるよ。パパは浮気してるよ。それにお兄ちゃんがゲイでね、わたしは32歳年上の人と最近付き合い始めたんだ。」 みたいにオープンだし、

それを受けた方も、「そうなんだ~!わたしはあなたが好き。それだけよ、大好き。だからわたしはあなたと一緒にいる。32歳も年上の人?すごい!どんな素敵な人なの?」みないな。

世間体とか偏見とかないし、 “わたし” が “あなた” をどう思うか。どう考えるか。それには家族とか育った環境とかその人を取り巻く他の要素はあんまり加味されていなくて、重要なのは “わたし” にとって “あなた” がどういう存在であるか。まずその結果があってから、その他の事に視線が向く。もちろん個人差はあると思うけど、わたしが接してきた友達はみんなそういう視点で相手を見ていました。

あとはアメリカは性にもとてもオープン。日本はオープンではないですよね、むしろセクシュアルな話題に対して消極的。

ついこの間食事に行ったときに、隣の席の合コンらしき集まりの中の女性陣が男性陣に対して、「どんな女性が好み?」って質問をしていて、その男性陣のうちの一人が「ごめんね、引くと思うんだけど、顔とかよりも体なんだよね、俺。」って答えていて、「ありえなーい!」「無理~」と女性陣は拒否の姿勢。まぁ、顔より身体に目が行くことはともかく、なんで “ごめんね” なの?そして 「無理~」??好きなんだもん。好きでいいじゃない?それがタイプなんだもの

そういう行為に対する話も、みんな外ではあんまりしないじゃない? “下ネタ” としてセンスなく下世話な感じで話題にはするけど、それに対してのマジな会話って表であんまりしない。

でも、生きていくうえで重要なことだし、みんな好きな人とはしたいって思うよね?誰だって。とっても素敵なコミュニケーションだし、誰だっていっぱいしたいし、したいと思ってもらいたいし。そういう話が日常的だって別にいいじゃない。全然素敵なことだと思うけど、世間はそうではないみたい。

長くなってきちゃったので、いったん区切りまーす。