わたしが宗教に関心を持った理由

イギリスに留学していた時に出逢ったサウジアラビア人の男の子との出逢いから【宗教】について考えるようになった~~~

2,3日前にたまたま知り合いとそんなような話をしていて自分が実際にその時に感じた想いとか考えとかを忘れちゃわないようにここに書き留めておきたいな、と思いました。もし共感してくれる人がいたり面白いって思ってくれる人がいたら嬉しいです。

まず。わたしは鉛筆は右、それ以外は全部左利き。

わたしが宗教に関して考えるようになった理由は結論から言うと、、わたしが左利きだったこと!

イギリスにいたとき、サウジの友達含め、モスリン(イスラム教徒)の友達13人くらいとみんなでご飯を食べに行く機会がありました。その食事の席で、わたしが左手でフォークを持とうとした瞬間に全員が物凄い目でわたしを見たのです!

ロンドンにいたとき、学校では毎日サウジのその彼と顔を合わせて授業を受けていたわけで、とってもロマンティックな日常を過ごしました。(これについてはまた国際恋愛について書かせてください。。♪)

サウジから来ている彼らはラマダン(断食月)中だったのでランチやティーブレイクの時間は食事のことを考えなくていいようにひたすらフットボールに汗を流していました。

だからその期間が終わるまでの間わたしは彼らと食事をしたことがなかったのです。その期間が終わってからサウジのその彼がサウジの伝統料理が食べられるお店に連れて行ってくれることになり、彼と出身が近い友達みんなと一緒にそのお店に連れて行ってもらいました。

食べに行ったのはケプサという伝統料理。これを手で食べるのが正しい食べ方みたい。

日本でいう横浜中華街みたいな感じでその地域一帯が中東街みたいに想像以上に現地色が強い場所でした。誰もがみんなアラビックで喋っているから何言ってるのかも全然わからなくて刺激しかない初めての空間でした。

その空間に日本人はわたしひとり。他は全員アラビアン!

彼がわたしの分のオーダーもしてくれて運んできてくれたはいいけど、そのあとみんなで『じゃあ、食べよう!』ってなって、わたしが左手でフォークを持った瞬間そこにいたみんなが一斉に、本当に文字通り一斉にわたしをギラッと見たのです。

確かに彼らの前で左利きを発揮することは今までなかったしペンを持つのは右手だから授業中に発見されることもなかった。

無知ながらに宗教の事も【左手は不浄なもの】だってことはなんとなく理解していたつもりだったけど、あまりにもみんあの視線が強すぎてわたしは固まったまましばらく動けませんでした。

彼らも悪気があったわけではなく反射的に起きたことであるからこそあの瞬間は本当に心底気まずかった。。

でもやっぱりイスラム教徒ならではの “施しの精神” というか優しさというか。。(全員が全員というわけではなくあくまでその人の性格とか個性っていうのが根底にはあるけれど)

反射的に左手を使ってしまったわたしを見て彼らもまた反射的にわたしの行動から目を離せなくなってしまったわけだけど、すぐに切り替えてくれたというか

『僕らの宗教ではびっくりしちゃうことだったから不思議な目で見ちゃってごめんね。でも Coco はモスリン(イスラム教徒)ではないしCoco の食べやすい方法でいいんだよ。嫌な思いをさせていたら本当にごめんね。』

って言葉をかけてくれてその言葉に逆に申し訳なくなっちゃってわたしは必死に右手で食べたのを鮮明に覚えています。かなり衝撃的な出来事だったからその時は結構焦ってしまっていて、気づいたら帰りのバスの中だったんだけどあとあと思い出しても後にも先にもこんな変な羞恥心でいっぱいになった経験はきっとない。。きっとない。。

それがきっかけとなって、『宗教ってなんなんだ!考えるとか計算するとかそんなのの以前に無意識の中にある絶対的なものというか。。とにかくなんなんだ!宗教ってなんなんだ!』って思うようになりました。

全員が一斉にわたしを見つめた背景には絶対的な宗教の存在があるわけで、当たり前に、日常的に、心から神を信じているからこその行動の一致なわけでいろいろたくさん考えました。

日本人は仏教と言いつつ形上のものが多いと思うし、ほぼ無宗教と言ってもいいように感じる。

それからはイスラム教に限らずいろんな宗教に関心が出てきてちょっとずつ調べたり話を聞いたりするようになりました。その中で左手について面白い記事がありました。

●キリスト教では。。。《悪魔は左手に宿り、病気は左手からやってくる》と言われており、昔は 左利き=異端 と考えられていたんだって。だからキリスト教圏内で描かれる悪魔はほとんど左利きだそう。

左利きの人は悪魔と呼ばれたり、女性だったら魔女狩りの対象になっていたんだって。聖書の中にも《左手に告げることなかれ》という言葉があるみたいで、それは聖なる右手でするべきことを偽善の左手に教えるべきでないって意味なんだそう。

今はそんなことなく、おとぎ話化しているけどやっぱり左手は悪いイメージ。

●インドに多いヒンズー教では。。。一般的に食事は右手でされている。そして左手では排泄後の処理をする。これはモスリンも同じ。上に書いたサウジの彼らといったレストランのお手洗いにも、お尻を洗う用のシャワーのノズルがあって、それは左手側にあった。

《右手は神の祝福を受けた聖なる手とされている》という言葉があって左手で物を渡したり握手をすることはタブー。今でも結構そういう文化が健在しているみたい。

●そして、イスラム教。。。!イスラム圏ではなんと、窃盗などの罪を犯すとその刑罰として右手を切り落とす、というものがあるそう。別に昔にだけ起こっていたことでもないんだって。

その意味は、単なる罪滅ぼしというだけでなく、一生不浄な左手の身を使って生きることになるっていうこの上なく、非常に非常に不名誉なことなんだって。

素晴らしく心に突き刺さるこの感じ。。

自分が左手と右手を両方使って生きていることについて違和感を感じることなんてなかったけど、このことがきっかけとなって、いろんな宗教観をいろんな目線から、視点を変えて見ることができました。

日本に住んでいて日本人の感覚だけで物事を見ていたら理解に悩むことってたくさんありますよね。世界って広いな、世界って思考と命で溢れてるな、、まだまだ想うことはたくさんありますが、今回はここまで❁

長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です