【If you want】 どうしても慣れない。。

【If you want】 という言い回し、よく聞きません?洋画でも海外ドラマでも、友達との会話の中でもヨーク出てくる。慣れないんだよな、この言い方。慣れないっていう言い方が正しいのかは分からないけど、無意識のうちに嫌な気分になっちゃってる気がする言葉がこの【If you want】です。

決して相手を蔑む言葉ではなくて、むしろ相手を気遣う言葉として多く使われてるんだけど、どうしても、上から目線に聞こえちゃう。きっと共感してくれる人、多いと思う。

If:もしも、 You:あなたが、 Want:したいならね、 → 「もしあなたがそうしたいならね。」って聞こえてしまう。上から目線というか、いやーな返し方というか。

A:Do you have any plan tomorrow?(明日の夜なにか予定ある?)

B:No. I don’t have any plan.(何もないよ~)

A:So.. we can go to dinner if you want.(じゃあ、よかったらご飯行かない?)

B:Okay, sounds fun.(オッケー、楽しそう。)

頭では分かっていて、理解もできているつもりなんだけど、やっぱり 【If you want】 っていう言葉を日本人の脳みそで瞬時に変換しちゃうと、上から目線で「あなたがもしわたしとご飯に行きたいならね。」の前に、『行ってあげてもいいよ』がうっすら見えちゃう感じ。

これは相手を蔑んだり上から目線の表現ではなくて、「もしよかったら、」って相手を敬って気遣っている言葉。だから、こういう風に会話の端々で 【If you want】 が使われると、変なプライドが邪魔して、『Not really. You ask me first, so I thought you want to ~ 』 ってひねくれた言い方をしたくなっちゃう。絶対口にはしないけど。

こんな風に英語についてもこれから書いて行ってみたいと思います。

オマーン人とその特徴について

前回の記事で書いたオマニボーイから、ここではオマーン人とその特徴について書いてみます。

オマーンはアラビア半島の東端にあって、サウジアラビアの東に位置する国。首都はマスカット。人口約520万人でオマーン国籍が70%、残りの30%がバングラディシュやパキスタンなどの外国人労働者。東南アジア人も多いです。一夫多妻制度があり4人まで結婚できるそうですが、貧しくては妻たちを養うことが出来ないため、複数人の妻がいるのは富裕層に限られているみたい。通貨はオマーン・リアル。オマーンに住んでいる住人の大半がイスラム教徒な国。

国旗は赤・白・緑でできています。赤は外敵からの国防とこれからのオマーンを、白は平和を、緑は豊かな農作物による繁栄を意味しています。そして、竿側の紋章は国章でもあり、この国特有の短剣カンジャルと太刀を組み合わせたもので、スルタンの権威を表しています。

公用語はアラビア語ですが、首都をはじめ、割と広く英語がよく通じるそう。わたしの友達のオマニボーイも英語がすごくナチュラルでした。

やっぱり激熱な国で、夏は高温多湿で雨は冬季に少量降るのみ。5月~8月にかけては40℃~50℃以上。最低気温が30℃以上という酷暑の国です。

オマーンは昔から貿易の中継地点の働きをしていたために、異文化との交流が日常的だったことから、外国人に対して寛容な人が多いみたい。オープンで人懐っこくて明るい人たち。イスラムの国だからその教えが影響して面倒見がよく、温厚で、男性はジェントルマン。

よくイスラム諸国は “男尊女卑” って言われたりするけど、人によってはそうも見えるのかもしれないけど、文化とか歴史的な背景から、男性と女性の、 《在り方》 がこうなっている訳で、彼らを知ればそんなこと全くないんだなって感じられると思います。少なくともわたしは、彼らの心の美しさに何度も救われました。

これは日本人数人とオマニボーイでロンドンアイの下で晩ごはん食べてた時の写真です。オマニボーイはモスリンなのでもちろんコーラを。

この時彼は宗教観についてたくさん話してくれていました。なんえ彼以外は全員日本人。彼の神への信仰を納得して共感できた人はわたしを含め、1人もいませんでした。そりゃそうか。だけど、彼はそんなわたしたちを決して否定せず、だからといってもちろんわたしたち日本人の考えを真正面から受け入れるわけでもない。「こんな考え方があるんだなー」っていつも新鮮でした。

ロンドンの夏の終わりの真夜中の、半そでじゃちょっと寒いけど、コートを着るほどまではいかない、生ぬるい空気がなんとも心地よくて、めっちゃ遅くまで話して気づいたら終電は終わっていました。終電逃してもロンドンはないとバスが永遠に出てるから帰れなくなることはありません。日本もそんなだったらいいのになー。今はコロナで夜出歩くこと自体がなくなってきちゃったもんな、早く元に戻れ―!

“if” から感じた宗教観

“if”“もしも”

日本語でも英語でも毎日当たり前に会話に出てくるし、この言葉があるからこそ成り立っている話って結構多い。「もしこの仕事してなかったら今頃何の仕事してると思う?」「もしかしたら、そうかもしれない。」「もし次のデートでプロポーズされたらどうする?」。。。

留学していた時、ある時の授業でディスカッション形式のレッスンがありました。テーマは《仮定》について。“If today is the last day of your life, what do you do?” (もし今日が人生最後の日だとしたら、あなたは何をしますか?) このテーマに沿ってそれぞれの意見や考えを自由にディスカッションする形式で、哲学的要素も含まれている授業でした。

わたしが組むことになったのはオマーンの男の子だったのですが、このテーマが発表された瞬間にオマニボーイの目つきが一変。さっきまで楽しく喋ってたし、あんなに穏やかでノリの良い彼がこんな敵意むき出しの表情をするなんて。わたしはただただびっくり。まずそもそも何にこんな気分を害しているのか意味わかんないし、ハテナでいっぱい。同じようにクラス中が「???」を感じていました。

これには先生も「?」状態だった様子で、ぽかんとしている感じだったけど、彼以外にもそのテーマについて話している子たちがいて、それはみんなモスリンの子たちでした。前にも書いたサウジの彼や、ラマダン明けにおねえちゃんに指輪を贈ったあの姉弟たち。

結構異様で、変な緊張感にあふれた空気が充満してて、意味が分からないわたしは変な空気になおさら意味不明。先生が口を開いたと思ったらその瞬間にオマニボーイはめちゃくちゃ早口な怒り口調で異議申し立てをしました。

「今日が僕の人生最後の日かどうかは神にしか分からない。全ての事は神が決める。それは僕だけでなく全員にとっても同じ。今日や明日や一年後を決めつけて知りもしない未来のことを話すなんてバカバカしい。僕は “if” を信じないしそんなのあり得ない。」

こんなに起こってるのは彼だけだったけど、もちろん他のモスリンたちもうなずいてはいました。びっくりしたなー。“もしも”を信じないというか、そもそもそんな感覚になったことないし、信じることが “出来ない” 人がいるなんて。

そもそも神の存在を本気で心から信じているなんて、宗教ってなんなんだ。。

だけど、 “もしも” を信じたら。。。明日が人生最後の日かもしれないなら、今日を大事に過ごそう。周りに感謝してやりたいことをやろう。明日が最後かもしれないんだから、今命がある事を素晴らしいと思って大切に大切に生きよう。って思える。

反対に、 “もしも” を信じなかったら。。。今日が最後かどうか、明日があるかないかは神のみが知っている。だから未来の事なんて決めつけないで、命ある今をただただ大切に、価値あるものとして、精いっぱい生きなくちゃ。って思える。

結局どちらであっても行き着く答えやその時の気持ち、思想は似たものなのかもしれない。だとしても、 “もしも” というポジティブにもネガティブにも変化しうるこの言葉は日本人のわたしたちのありきたりな日常に常にいつでも散りばめられている訳で、

彼らの発言から宗教観の違い、信仰の深さ、文化の違い、国民性、、、、ほんっとうにものすごく考えさせられました。イスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教、アジアは仏教が多いかな。それぞれの宗教によって価値観の違いや、重きを置く部分が違う。知れば知るほど疑問も増えるし、なるほどな、とも思う。でもだからといって、その意見に賛同や共感できるかと言われたら、かなりの確率で賛同も共感のできないけれど、

そういう考えを持った人がいて、その思想やその哲学を彼らは心から大切にしているってことは理解できるようになりました。そんな風に思えるようになったのも、彼らのおかげなので、感謝の気持ちでいっぱいです。

そんなエピソードを今日は書いてみました。